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広島高等裁判所 昭和28年(ネ)140号 判決 1956年9月11日

控訴人 原告 谷川保

訴訟代理人 森井孫市

被控訴人 被告 吉原国太郎

訴訟代理人 花本福次郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す、被控訴人は広島市にて発行の中国新聞紙上に引続き三回別紙通りの謝罪広告を掲載し、且つ控訴人に対し金十万円及びこれに対する昭和二十六年十二月十三日より支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決並びに金員支払の部分につき担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張は、控訴代理人において、(一)原判決摘示の請求原因中(第二葉裏第一行より第二行)「原告が右犯人でないことを知りながら敢えて犯人として指摘し」とある部分を撤回する、(二)控訴人は検察庁において犯罪の嫌疑なしとして不起訴となり釈放された、と述べ、被控訴代理人において右(二)の事実を認めると述べた外、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

証拠の関係は、控訴代理人において当審における証人重松孝雄、延広伯人、吉原高春、今村清法、赤木多守の各証言及び控訴人被控訴人各本人尋問の結果を援用し、被控訴代理人において当審における証人吉原高春の証言及び被控訴本人尋問の結果を援用した外、原判決摘示と同一であるからこれを引用する。

理由

昭和二十六年九月一日午後十一時頃広島県御調郡向島東村字大町鳳凰谷所在の被控訴人裁培の西瓜畑に西瓜泥棒が侵入し、見張中の被控訴人に発見せられるや被控訴人に傷害を加えて逃走した事件の発生したこと、控訴人は同月二日右強盗傷人事件の被疑者として逮捕せられ、次いで尾道刑務支所に勾留せられたが、取調の結果控訴人は検察庁において右犯罪の嫌疑なしとして不起訴となり釈放せられたこと、並びにその間に、被控訴人が右事件の犯人であるかの如き記事が中国新聞紙上に掲載せられたことは当事者間に争がない。

成立に争のない甲第一、第二、第四、第六、第九、第十、第十五、第二十、第二十一号証、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果によれば、前示の通り控訴人は本件事件の被疑者として逮捕され、次いで約二十日間尾道刑務支所に勾留され取調を受けたのであるが、このように控訴人が本件事件の被疑者として逮捕勾留せられ取調べられるに至つたのは、被控訴人が警察官に対し本件事件の犯人が控訴人である旨申出で、また検察官に対しても同様の供述をしたことに因るものであることを認めることができる。

控訴人は、被控訴人が不注意にも控訴人を本件事件の犯人と誤信してその旨を捜査官吏に申告した点に過失があり被控訴人は不法行為上の責任を負うべきものである旨主張するので、この点について判断する。

成立に争のない甲第四(乙第二)、甲第六(乙第三)、甲第十五(乙第四)号証、原審証人吉原サワヨ、当審証人吉原高春、重松孝雄の各証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果を綜合すれば、次の事実を認めることができる。

被控訴人は昭和二十六年九月一日夜前記西瓜畑の番小屋において見張りをしていたところ、同夜十一時頃右西瓜畑で西瓜を盗む者の居る気配があつたので、懐中電燈と天秤棒を持つて現場におもむき犯人を誰何して懐中電燈で犯人を照すと、その犯人は被控訴人を目がけて走つて来て被控訴人の所持していた天秤棒を奪いこれを左手に持つて被控訴人をなぐりつけ、被控訴人の右手の指を負傷せしめた。被控訴人は恐怖に駆られてその場を逃げ出したのであるが、懐中電燈で照らして見た犯人は年令二十三、四才であつて、斜視で頬骨のあたりに特徴があり、控訴人に間違いないと直感した。被控訴人は控訴人と知合の間柄ではないが、被控訴人が尾道市に出る時などに控訴人方の前を往来してかねて控訴人の顔を知つていたので、懐中電燈に照らされた犯人の顔を見て、被控訴人は犯人を控訴人であると直感したのである。そして、被控訴人は自分の家に馳せ帰つて控訴人と同年配で子供の頃から控訴人を知つている息子の高春に確かめたところ、控訴人が左利きであることが判明したので、犯人が控訴人であるとの確信をいよいよ固くした。そこで、被控訴人はその夜直ちに控訴人方に行こうとしたが、その妻から今晩は興奮しているから明朝にするように制止されたので、翌二日早朝虚構の用事にかこつけて控訴人方を訪ねて控訴人に会い、控訴人の様子をうかがうと共に控訴人の陳謝を期待した。しかるに、控訴人が素知らぬ顔をしていたので、被控訴人は立腹して、同日向島東村矢立駐在所に本件事件の被害始末を届出で、その犯人は控訴人である旨警察官に告げ、その後警察官及び検察官の取調べに対しても誠実にその所信に基き同様の供述をしたものである。成立に争のない甲第二十五(乙第七)号証中には被控訴人は日頃控訴人を知らなかつた旨の記載があるが、同号証は延広巡査部長より重松副検事に対する電話報告書であつて前示甲第四(乙第二)、甲第五(乙第三)号証に照して右記載は容易に信用し難く、他に以上の認定を左右するに足る証拠は存在しない。そして、当審における控訴人本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、控訴人は本件事件発生当時二十三才であり、左利きであつて斜視である外、頬骨の部分に特徴のある人相であることを認め得る。以上に認定した諸事実を綜合して考えると、被控訴人が本件事件の犯人を控訴人であると信じたことには、相当の理由があつたものと言わねばならぬ。およそ、犯罪の発生のあつた場合、その被害者は直ちに被害の事実を捜査機関に届出でると共に、その犯人が何人であるかについて誠実にその信ずるところを申告することは、犯罪の捜査を容易にし犯人の検挙に協力することになるのであつて、治安維持上望ましいところである。しかし、被害者により犯人と指摘された者は、一応犯罪の嫌疑を被りその人権を侵害される危険があるのであるから、特定人を犯人として捜査機関に申告するについては特に慎重な注意を要することは勿論である。被害者が何等の合理的根拠なしに漫然とした臆測に基き特定人を犯人として指摘した如き場合には、その指摘せられた者が後日犯人でないことが判明した時被害者はその者の被つた損害につき過失に因る不法行為上の責任を負うべき場合のあることは明らかである。もつとも、被害者は捜査機関と異り犯罪の確証を挙げるために捜査する権能も義務も有しないのであるから、犯人を指摘するについて特に調査をしてその者が犯人であるとの確証を挙げる必要はなく、合理的な根拠に基いて特定人を犯人であると信じ、誠実にその所信に従つて捜査機関に対し犯人を申告した以上、たとえ後日その者が犯人であることの確証が挙がらず或は犯人でないことが判明しても、被害者がその者を犯人と信じたことが常識ある社会人の立場から見て相当の理由がある場合であるならば、その者が被つた損害につき過失の責を負わないものといわねばならぬ。本件に在つては以上に認定した通り、被害者たる被控訴人は犯行の現場において懐中電燈の光で犯人を照し、その犯人がかねて顔を見知つていた控訴人であると直感し、その後控訴人が犯人と同様左利きであることを確かめて犯人が控訴人であるとの確信を固め、更に翌朝控訴人方を訪れて控訴人の様子を確かめた上で、自己の所信を誠実に捜査官吏に申告したのであつて、被控訴人が右の如き確信を懐くについて相当の理由のあつたことは前に認定した通りであるから、たとえその後控訴人が前記のように検察庁において本件犯罪の嫌疑なしとして不起訴となつたものであつても、控訴人が本件犯罪の被疑者として取調を受けることにより或は被疑事実が新聞紙上に掲載せられることにより生じた損害につき、被控訴人において過失に因る不法行為上の責任を負うものでないことは明らかである。

次に、控訴人は被控訴人が本件事件の犯人は控訴人であるとの噂を一般に流布して控訴人の名誉を毀損した旨主張するけれども、被控訴人において右の如き噂を流布した事実を認めるに足る何等の証拠も存在しないから、右主張も理由がない。

しからば、被控訴人に不法行為上の責任のあることを前提とする控訴人の本訴請求は失当であるからこれを棄却すべきものである。

右と同趣旨に出た原判決は相当であつて本件控訴は理由がない。

よつて、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 植山日二 裁判官 佐伯欽治 裁判官 松本冬樹)

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